お墓の前で

「なんで毎月郡山に来るの?」といつものことながら
身も蓋もない言い方で春子姉さんが訊く
「来たいから」と答える
すると「じゃ逆だったら?ばあさまが残ったんだったら?」
うっ「来ないわ」
義兄が入って云うそして歌う
「あんた等そんなこと♪お墓の前で云わないでください〜♪」


家に帰ってお弁当を食べながらお墓参りをしない義父には
通じない会話を続ける
「そだに嫌いだったのかい?まあ あたしが嫁だったら絶対来ないけど」
「嫌いっていうより意思の無さがもどかしくて解からない人だったから」
などとお茶をにごした


帰りの新幹線の中で本も読まずに思い出し考えた
そう何年も私は郡山に行かなかった
結婚当初同居だったのだが息絶え絶えで転勤と言う車に乗って逃れたのは
確かで呪縛を解かれたようにホッとしたことは事実だ


義母をお母さんとは呼んでいた 便りにも「お母さん」と書いた
義妹のような「お姑さん」なんていう無神経はけっしてしなかった
でもなあ・・・
あの意思のなさ 誰かに頼ろう寄りかかろうという姿勢 
たえずほだしを乞うような眼差しが絡みつくようで嫌だった
嫁姑以前の問題だ私は憎んでいた実母とそっくりな自分をそこに見出す
「お義母さん布巾はきっちりきりきり絞って下さい」 胸中で毎日


義母が存命中は「こんにちは」「ごめんください」と玄関に入っていた
義父独りになってからは「おじいちゃん ただいま〜」と言う


そんなこんな考えていたらもう上野 頭痛がしてきたので
大好きな鎮痛剤を二錠飲む もう考えまい 彼女は仏様になったのだ