大晦日


     「 去年今年貫く棒の如きもの 」 正岡子規


     こぞことし つらぬく ぼうのごときもの


毎年この句がしっくり合っていたが 今年はちがう
貫く棒の如きものがボキリと折れてしまった音がしたのだ
東日本大震災 あの真っ黒な水の押し寄せる画像を目にするたびに
心は不安におののく あれが人間の不安と恐怖の象徴に思える


 精神科医斎藤環先生による 喪失と外傷の両義性


「ある主婦は家事能力が喪失されたことを苦に自殺した。
 ある婦人は津波で先祖代々の墓が流されたことをいまだに悔やみ
 アルコールの力を借りなければ眠れない。またある婦人は
 窓から見える風景がすっかり変わってしまったことの辛さを訴える

 
 家事能力の喪失。これはまだわかる。しかし「墓の喪失」と
 「風景の喪失」に関しては、完全に意表を衝かれた。
 精神科医としての想像力不足との批判は甘んじて受けよう。


 しかしこれは、私を含む世代以下に特有の、郷土との紐帯感覚の欠如
 によるものかもしれない。 先祖代々の血脈という意識が、どうやら
 私(たち)には決定的に欠けているらしい。それゆえ、父祖たちとの
 連続性の喪失が、ほとんど自我の欠損そのもを意味するような人々の
 喪失感は、想像はできても共感が及ばないのだ」


私の実家兄姉は内陸であるため家屋の半壊程度で済んだ
しかし次姉はこの震災を期にあらゆるこれまで抑えてきものが
噴出し家族を混乱に陥れている
甥がこのことを相談してくる EPOMちゃんしかいないんですと
しかし私は受け止めきれていない
私自身のことで精一杯だ でも絞り出す力でなんとか応える
姉には檄をとばす 有り得ない私だ
しかし有り得ないことばかりなのだから有り得ると云える
力はどこからともなく湧いてくる
足に力をこめて歩く 歩くと元気が出る 気力が出る


新年を迎えよう 貫く棒の如きものが折れたとて何事ぞ
自然は明日を連れてくる 希望も連れてくるだろう
待ち受けよう 受け取ろう 手を伸べて さあ!