「孫よ」の考察

       

        マゴではなくネコである


ここ2、3カ月で三人の孫誕生が友人にあって おめでたいことである
心から健やかなる成長を祈る そして友人の健康も祈る


さて「孫」という歌謡曲が流行ったときに
どうしてこのような歌がヒットするのか私には解からなかった
イヤでチャンネルを変えていたほどだった
息子よとか娘よならまだちょっと解かりそうに思えたのもあるし
子を思うのはいささか辛い時期でもあったのだ
子供時代を過ぎて早々に離れてゆく彼らの背中を見るのは悲しかった
しかし自分の為すべきことが終わったのだという安堵感も僅かにはあった


孫である!
ブログにお孫さんの可愛らしさをアップされる方もいらっしゃる
写真を持っていて、あるいは携帯の待ち受け画面になさっている方も
孫のお顔を送ってくれる友人もいてとてもとても可愛いと思う


ある友人 娘の産後の世話を心いっぱいに尽くして、そして
「私はね子供が嫌いなの だから自分達で育てなさいね」と娘に言った
うんうんと思った 彼女は何しろ両親をほぼ一人で見送り
その遺品や家屋敷のことを何年かかかって心をもぎ取られる思いで処分
更地となったそこを心の空洞として日夜苦闘している
そして次は夫の両親が丈夫な心臓をもって待っているのだ
彼女は何度も病気を克服しているが疲れやすい発熱しやすい
娘に言った一言は本音ながらも云わずば云わずに済んだ言葉だっただろう


ある友人 孫は多分二人か三人居ると想像できる が
何も云わない だから「孫ちゃん可愛いでしょ」とふっても
「あ? うん そうね〜」と興味がなさそう 自分の楽しみに夢中


さて私は 何と思い 何と言うだろう 
そのような時はもしかして近付いているのかもしれないのだ
孫とは「親の子の子」である 云うまでもない
子とそっくりの顔だったりしたらビックリの対面だろう
会ってみなくては解からない 
何事も起こってみなければ解からない


猫の画像など 最初に貼りつけてしまったが
今のところ可愛くてたまらないのは猫である