私のともだち だった・・・

今週のお題「私のともだち」


多分一生に一度の事だ  「絶交」
私は友人に「もう私にはかまわないで下さい」とメールで応えた


彼女とは家が隣同士で幼稚園から高校まで一緒だった
特別に仲が良かったわけでもなく お隣さんだったから
毎日二人で通学しただけだ
ずっと何か考えていると「どうして黙っているの」と訊かれたりした
笑いあったこともあったような気がする
その笑いは私には気に入らない嘲笑いだったな


彼女は成績優秀体格良しだった
東京の大学に行き私は地元に残った
数回しか会わなかったが珍しく感傷的に彼の事を語ったので
それって恋じゃない?と言うと「そんなことはない」と
少しして「やっぱりEPOMちゃんの言うとおりだったよ」と答えがきた
やがて彼女は結婚してアメリカに住むようになった
遠い存在になった気がしたけれど
年に一度くらいエアメールも書いた
無機質な返事ばかりだった なんだかねえ・・・


私は十数回の転居をし夫の転勤についてまわっていた
そして帰国していた彼女とすぐ近くに住んでいることを知った
電話がきて「行ってもいい?」 もちろんよ!
彼女はマンションから戸建てに越すところだというので
段ボールをあげるよ使って わあ良かったと
高級車に積んで帰って行った
好い大人になったのだなあと嬉しかった 私も成長していたしね


懐かしくも楽しい交流が始まった
あの時の彼は? あぁ終わってるよ あぁそうよね
さそわれて二人で伊豆高原に旅をした 複数友人たちとも旅をした
あんなに楽しい時期はほかになかったろうと思う


彼女は問わず語りに自分の事を話すようになった
あの時の彼を切り捨てるように逃げたこと
「謝ったの? 説明したの?」
しない 黙って引っ越した 刺されるかもしれないニアミスもあった
それって悪人じゃないの と 私は言った
聞けば聞くほど 私は疲れた 自分が壊れていることを自覚していたから
離れなければと思っても離れられない・・・
週に二回はうちに来ては話す なじる
「私の父がEPOMちゃんのお父さんみたいだったら人生が違っていた」
私たちはお互いを知り過ぎていた 家の怨念みたいなものを
ある意味早熟だった私はとらまえていたし
それを頭のいい彼女は勘づいている 無残な関係であった


彼女は日本で一番良い大学をでた夫君と一人娘 マルチーズ 高級住宅地
遊びに行けば駅まで迎えに来てくれた
歩いて行けないわけではないが上り坂だからの配慮だった


やがて彼女の独り暮らしの父上が病気になった
田舎のことゆえ隣近所は面倒をみたがる 
彼女と彼女の姉さんに電話でいろいろ言いたがる
「放っといて下さい」
しかし父上はまことに偏屈横暴悪口雑言を吐く人で周囲が困った
そのうっ屈を私にぶつける 嫌み散々であるから私は背中が冷えた震えた
その父上は惨い最期をむかえた 罰が当たったように・・・


事最後のメールで私は決めた 無視した
数日してまたメール 無視
電話に名前が表示される 無視
よくよく考えて
「もう私にはかまわないで下さい」に至った


半年も過ぎたころハガキが届いた
「やっぱり私はEPOMちゃんが必要ですいつでも出かける用意があります」
新しいアドレスも書いてあったが 捨てた

本の話を深くできる唯一の友人を私は拒否した
もうこれ以上私は壊れるわけにはいかなかった
自衛本能がはたらいたのだ 自分で選別したのだ
私は初めて人を切り捨てた
彼女は実に初めて人に切り捨てられたに違いない


惜しい惜しい友人を私は自分で葬った


こういうこともある


私のともだち だった人



「私はEPOMちゃんみたいな人生をおくりたかったよ」