偶然に哲学本を読んだかな?
哲学者といえば 谷川俊太郎さんの父上 谷川徹三氏が浮かぶだけだ
そのような人を父として生まれた俊太郎少年の心持ちや如何に
実家以外の家庭を知らないのに 忖度してしまう私
ある時 父上は息子の詩のようなものを偶然読み 驚愕し
草野心平氏にそれを伝えたのだという
一般家庭の感覚とは違っていることは希望的かつ断定的に
とらまえた上で 揺るがぬ今の詩人・谷川俊太郎氏が居るわけである
「谷川」という名前は俊太郎少年にとって
どのような効果があり あるいは 邪魔となったのかなと
下世話な事を思い為してしまう
前置きが長くなったが 大森荘蔵著「流れとよどみ」を読んだ
(はじめに)
「哲学的問題あるいは哲学的困惑とでもいうものを
それが生まれてきた場所である日常生活の場に戻してみることであった
およそ哲学の気などない明るい茶の間や台所の床板一枚下には
それらの問題や困惑がよどんでいることを示したかったのである」
これは読めそうだと思った
そして初めて哲学書を読んだ(はじめに)のとおりであった
小説ばかりが楽しいのではない事を初めて知った
物事にはすべからく潮時というのがあり
今 潮が私に満ちてきたところなのかもしれない
そして長い読書歴も多読も暇つぶしではなかった ありがたいことだ
時を得たことに感謝の気持ちで手を合わせた
それで 感想文は? 書けるわけがないので この記事に代える。
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「江戸時代の教育」寺小屋訓戒集の一例
人ノ人タルノ人ハ、人トス。
人ノ人タラザル人ハ、人ヲ人トセズ。
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