霊柩車について一考

霊柩車を見たら親指を隠せ さもないと親の死に目に会えなくなると
知っていたから私は二親の死に目に会えたのだと思う
夫は知らないから「あぁれ!きんきらきんだ!」と見惚れて会えなかったのかもしれない。。。


いいや そうではない 私の両親は同居の息子夫婦の言うことをきいて
通院し入院していたから死期が測れたのであり
夫の両親の場合 母は通院しながらその帰りの買い物ばかり楽しんで
処方された薬は一切服用せず 父は「病院なんか大嫌いだ」っと
どれだけそこかしこが具合が悪く痛んでもがまんして そして
寿命が尽きて逝ったのだ
義父は決めていたのだ 立派だと思う


小さい子を亡くした方などは実に痛ましい 頭がどうにかなってしまう
だから順番からいえば親なのである
私は34歳の時から苦しんだ
なぜ 何も訊いていないまま居なくなるのか
なぜ 言うべきことを言わずに居なくなったのか
佐野洋子さんの「シズコさん」に記述があったが
私もまた母の体にに初めて触れたのは死期が迫ってからだった


こういう手をしていたのかとつくづくながめ手を握り脈をみた
テンデンバラバラだった・・・
母はみ〜んなに囲まれて逝った
残った者を思い切り悲しませた


私は「お母さん もうそろそろ逝ってくれ」と言われるまで
長生きしたいと思うようになった
そしてお金を貯めておいてキャデラックリムジン宮型に乗りたいな

     

どこの誰だか 親指隠せ!



        ノンフィクションフィクションでした