昨日の続き

わたしはだれ?」には(櫻となって踊りけり)という副題がある
それは 三橋鷹女の「老いながら椿となって踊りけり」を引いている
らしい・・・やはり凄い こういう方こそこわい女というのだろう 
吉行和子さんの小エッセイから読みとった


岸田今日子さんによると
大ざっぱに分ければ「和歌的人間は情緒的」
「俳句的人間は客観的」とある
私は恥ずかしながら短歌の詠み人であるから
なんとかんのと情緒に流れる人間である ぜひ客観的になりたく希求する


これも故・岸田今日子さんの小エッセイにあったのだが
「孫俳句」というのは作らない方がいいと
たしかに小沢昭一さんがどこかで書いていらした
でもそんなことを言う小沢さんだって「孫俳句」を作っている
これはそんな自分に対する戒めの言葉だろう春の句がある

    
    「春眠を孫にふんづけられており」変哲(小沢さんの俳号)



さて山頭火の句がつくづくと心に沁みて後悔しきりの句


    「どうしようもないわたしが歩いてゐる」







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