さよなら三つ


        

      そなたなに思うて昏き黄小菊   ゑぽむ



遠藤周作さんの「うまく生きた」という40年ほどまえのエッセイを読み


今なら解ることがたくさん書いてあった


遠藤さんは50歳くらいだから まだまだお若い


それを読むこちらは失礼ながら歳は経ているから腑に落ちるのだ


作家の書いたものとはいえ やや追いついていると言ってしまおう


遠藤さんは逓信省に勤務する父上に伴い


母上と優秀なる兄上と大蓮に渡る


父上の女性関係により母子は日本に帰国


熱心なクリスチャンの伯母のもとに身をよせ


母上はヴァイオリン教師として勤める


劣等感とエディプスコンプレックス 周作少年は


183センチ身長のあるすらりとした青年となった


親の言うままに洗礼を受けたことは 後に彼を苦しめた


途中から自らの考えで入信した友を羨み


脱げない服はどこもかしこもブカブカだったりツンツルテンだったりと


それは「沈黙」「深い河」に集約され遺志で棺におさめられたという


ずいぶん苦しく辛い手術や治療であったが


あるとき痛みの愚痴を言わなくなった 


彼の洗礼名はパウロ    パウロ





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夕べ ビリーバンバンの歌を聴いた


「さよならをするために」が印象的だった


豊かな教育を受け 運が良かった兄弟


「僕ら ビリー・バンバンがあるのは音楽好きの両親がいたから」


母上に「長生きしてね」っと言っていた 






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