読書は脳をどのように変えるのか?

        


この本はMさんのページでお教えいただいた
自分が多読であったからこそ読むに抵抗はなく
水を飲むように、食物を摂取するように読みつつある


本から引こう ヴィクトル・ユーゴーの記述


     Yの文字のなんと絵のように美しいことか、なんと
     無限の意味を秘めていることか、あなたは気付いて
     いるだろうか? その木もY、二本の道がぶつかる
     ところもY、注ぎあう二本の川、ロバの頭と雄牛の頭、
     脚付きのグラス、茎の上に咲き誇る百合の花、
     両腕を差し伸べる物乞い、どれもYだ。
     人間が考え出したさまざまな文字の要素を成している
     万物に、同じことが言える。


そして「ギルガメッシュ叙事詩

     

     私は誰のために労苦を重ねてきたのだ?
     誰のために果てしない旅を続けてきたのだ?
     誰のために心から血を流したのだ?
     私自身は何ひとつ恵みを得ないまま終わってしまった。



読み始めてすぐにマルセル・プルーストの言葉に大いに力を得た
「読書の真髄は、孤独のただなかにあってもコミュニケーションを
 実らせることの奇跡にあると思う。」

あぁ そうであった 私はけして孤独ではなかった
子供時代の無力さの中においても 長じて孤立をした時も
見知らぬ町を歩く時もけして不幸でも孤独でもなかった
それは私が本と共にあったからだ。
幼い息子たちに読み聞かせしつつ自らの心を満たし得たのだった。
そして今も以前よりも多くの本を読む幸いを得ている。


読むことによって心が喜びに満たされるばかりではない
哀しみに打ち震えることもあるがしかし
それは疑似体験となり栄養となる
本に書かれている以上の哀しみに出会うことがあっても
「体験」がものをいい私を突き動かし
私は私を救いだすのだ。


まったく別の話になるがヴィクトル・ユーゴーの孫
フランソワ・ユーゴーはボタンのデザインをしていた
1933年のことだ 第二次世界大戦中にカンヌに避難し
エナメルを使った革新的なボタンを創作したという事実がある。
私のボタンコレクションの中にエナメルがある
それはその流れをくんだものなのだろう。


ボタンは宝石に匹敵するものだ
紐の文化の日本に洋服が入ってきて
職人たちはボタンを作り始めた
それは器用な手をもつ日本人の素晴らしい小さな世界を作ったと思う
全てが幾工程をも経た素晴らしいものだ
残念ながら今は大量生産のごくつまらないものによって
追いやられてしまっているが昔ながらのボタン屋さんの蔵には
お宝が眠っている。


題からおおいに脱線してしまったが
なにしろ私の得意とする分野であるので致し方ない
古い服のボタンほど質が良いので
おばあさまの洋服などあったら捨てずに眺めてほしい
そして今の洋服のボタンを取ってつけ直してみていただきたい
みるまに格段のグレードアップ間違いなしである。


ひとつしかない場合はブローチやネックレスにするとよい
お洒落の極み お楽しみいただきたい
私は存分に この手でたのしんでいるのだから。




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