先生

ひところ しきりと古典の講座を受けに横浜に通っていた
和泉式部」「健礼門院右京大夫」「西行」など
教室には私より10歳以上上の方々 たまにお若い方もいらした
知っている有名な歌はとりあげられることはなく
実に知らないことに心は明るみノートをとるのが楽しかった
とはいえ先生は東大のW教授 
たびたび語彙の意味が解らなくなっては当惑しきり


先生は私より3、4歳お若かった
そして珍しいことには講義の間にしばしばご自身のことを話された
途中からの参加だったもので繋ぎ合わせつつ推察
奥様を亡くされ小学生の一人息子さんを育てながら
認知症の父上を気遣う日々でいらしたようだ


和泉式部の歌

とどめおきてたれをあはれにおもふらむ子はまさるらむ子はまさりけり


朗唱されながら声がふるえていてどんなにか心淋しく
孤独でおられるかと実に涙を禁じ得なかった

数年・・・
ある日「今日は息子の中学の卒業式なんです
    生徒代表で答辞を読むとのことなのですよ」
皆さんがハッと顔を上げられる気配がした
それならお休みになって出席されたらよかったのにと


「私は人よりも学問ののみこみが遅いのです
 しかし理解し始めるとそこからが早く深いのです
 秀才型とはちがいます 懸命に学んで今に至ります」
W先生の言葉は印象的だ 私は学びを続ける 遅々としていても
深まるのだとの励ましをいただいたと掌にいつものせて


昨日は入学式に参加のため勤務先を欠席 異例の注意と報道あり
そしてhatenaのブロガーさんの我が子の小学校入学式に行けなかった事アップ
私自身も似たような経験があり
夜、夫と語り合った どうなのだろうね
責められる事かなぁ・・・
先生だけどお母さんだしね 準備をして配慮もしていた
でも担任の学級の生徒達はある意味 勉強になり考えることに出会った
それは人生においてよき学びとなったのではないだろうか
次の日に初対面した先生を他のクラスの生徒たちとは
おおいに違った人格との出会いを通して学校の外の世界を学んだのだ
父兄の考えや声は容易に想像はできる
それをどのように子どもと話しあうか そこに違いが出る
「もしも私だったら」という共感性





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      和泉式部の歌の解釈

あなたは皆をここにおいて逝ってしまったけれど
いったい誰のことが気になっているのかしら
きっと子どものことでしょうね
そう 子どものことが想われて哀しくてならぬのでしょうね


    和泉式部は娘に先立たれた 孫が残されて
    娘を失った悲しみにうちのめされ孤独
    しかし母親の心になり
    切々と歌うのだ 私より子を思うのだろうと





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