10月5日太郎誕生日

昨日は太郎の誕生日だった
といっても もうすぐ今日に近い時刻の誕生だったから 6日に近い
大きな赤ん坊だった 3400グラムもあって
「お母さんにしては大きめだったね 3000グラムが丁度だけどね」と
ドクターは今更 しょうがない事をいうなぁと思ったっけ


母やら姉やらおばさんたちに さんざん聞かされてははいたが
それはそれは大変な痛さであり 障子の格子が見えなくなるほどだよとの喩え
でも分娩室には障子がないからその実況見分はできなかった


こんな痛みを女たちはするすると耐えて子を生すのかと呆れた
母が来て「ご苦労さん」と言った そう そうだった


私は母乳があまり出なかった 初乳だけは頑張って飲ませた大切だから!
太郎は体重が一週間の入院のうちにどんどん減ってしまい
2700グラムになり赤ちゃんではなく白ちゃんになってしまった


たまたま実家の隣家だった婦長さんが
看護婦さんを叱った なんだか専門用語だった
すぐに粉ミルクが支給されて 太郎はむさぼるように飲んだ


私はどんどん落ち込んでいった 今では誰も知るマタニティブルー
悲しくて 頭がガンガン痛み 食欲はまったくなかった
産婦用の玄米食は吐きもどす有り様で 母が自宅から白いご飯をもってきた
同室の三人目を産んだお母さんは「慣れるとおいしいよ」と
けれど なにより眠れなかった
ベットに起き上がって 寝息をたてる他の新米ママさんや赤ちゃんを見まわして
「眠らないとお乳が出ない 眠らなきゃ」でも目は煌々と冴えていた


10月の故郷はもう寒かった セーターを着ていた コタツも出ていた
夫が来て 赤子を覗きこんだ 何と言ったのだったかなぁ 憶えていない
頬っぺたをなめていたのでビックリしたっけ
自分だけが弱い みんなが普通にしていることが出来ない
なぜなんだ 自責した つらかったなぁ


ミルクを飲んで太郎は順調に体重が増えて重たくなった 可愛くなった
色白で 髪は茶色っぽくて クルンクルンと巻いていた


賢い子だった おしえないのに字は読めたし
幼稚園の頃には「お母さんゼロより小さい数はあるの?」なんて訊くもので
「−1.−2・・・よ」と この子天才っと思っちゃったっけ
百人一首も、古典も口移しに教えると
「花のちるらむ」てきれいだね 
「乙女のすがたしばしとどめんむ」がステキでカッコいいよね


夫はほとんど出張でいなかった
そんな夜に起きだしてきて泣くのだ
「お母さん カレンダーがもう少ししかないよ 無くなったらボク死ぬの?」
私は怖くなって「死なないの! また来年の新しいのをもらえるのよ!」と
一緒に泣いてしまった。


よく喋る子供でキンキン声が耳障りで
「時計の短い針が1から2まで動くまで黙っていなさい」といえば
「いやだ〜 長い針がいいよ〜」と 困ったお喋りさん


ず〜っと口の減らない子だったな 今もそうだ
小学校は4っつ転校 中学は2つ どこでも勉強はよくできた
関東の子は東北をバカにしてるらしくて
「キミは仙台から来たし塾も行かないのになぜ勉強ができるの?」など訊く
「あのさぁ 授業をちゃんと聴いてれば8割はわかるんだよ」
「キミのいうとおりにしたら解ったよ」


好きな人に出会い結婚出来てよかった
私の心配はお嫁さんに丸投げして 心底ホッとした


誕生日のお祝いは言わずにおいた 何も送らなかった
ただいま在ることが 祝いであり贈り物だものね

太郎 次郎 お母さんのところにきてくれてありがとう

まぁ 痛い思いをして産んだ私が偉かったんだと自分にご褒美を考えよう




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    台風だ 雷鳴がする 大嵐になる そっと通り過ぎてください
         



            やがて静かな秋がくる 






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