40年ぶりの大雪の思い出

 仙台が春を感じ始めた頃に庄内酒田に転勤になった夫
「ハーイ」と小学校入学の太郎と三歳の次郎と4人で向かった
 道は走るにつれて季節が後退し冬にもどってゆく


 着いたら雪が降っていた
 当時は職場の皆さんがお手伝いに来てくださる習慣があって
 先に着いたトラックから家財をおろして
 部屋に箪笥もテーブルも設置してくださっていた
 なんとありがたいことであったろうか


 お隣さんが私達と皆さんを家に呼んでくださり
 温かな食事と飲み物を下さった
 

「あぁ冬でもお日様が照ってるとこから来たんだね」
 何のことだか解らなかったが二冬過ごして知った
 半年は空は鉛色なのだ


 地吹雪 そうホワイトアウト! 
 そんな中でもプラスチックのソリに次郎を乗せて買い物に行った
 ちょっと止んだらささっと帰宅
 みんな慣れたものだ 当然ね
 

 お魚はみんなピンピン生きていた
 蛸はゆでだこではなくて生だった 美味しい
 

 その年は40年ぶりの大雪ということだったのだが
 初めて住んだものだから
 こんなものだと思うのだからのんきなものだ


 他県ナンバーの車だから信号でストップして発車できなくなると
 どこからか人々が出てきて押して下さり
「止まんないで行けよ!」と声がけしていただける


 夏の昼間には南禅寺というお豆腐を売りに来る
 それはご飯のおかず 亡母は感激したっけな
 こんなおいしいお豆腐たべたことがない


 短い秋の芋煮会は楽しかった
 お集まりが苦手なくせにあればっかりは出かけて行った


 ここで材料を集めて芋煮をしても 似て非なるもの
 それでも思い出を懐かしみ戸外でたべたあの頃を
 かけがえのない幸せとして抱く


 雪かきは重労働だった こつがあるのだ
 そのこつを習得する前に引っ越した
 すみません





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