両親の介護

 エレベーターをおりて ふと見れば
 独り暮らしのお母さんを訪ねて帰った友子さんが
 ベランダで洗濯物を干していた


「おかえりなさーい」   「ただいま〜」 小さな声で言い交す
 夕方チャイムが鳴った
 懐かしい同郷のお土産をもってきてくれて・・・
 疲れ果てた顔をして言う
「あの家は私の我が家じゃないのよね
 力を使い果たした抜け殻のようになっちゃった」


 実によくわかる 身に迫ってわかるよ
 夫の両親を訪ねる度に味わった言いようのない疲労
 それは若い頃の父母ではない別の人格をもちつつあることへの不安であり
 焦燥感であった 誰一人避けることのできない通り道


 長生きになった時代 それはなによりである
 しかし寒冷地での独り暮らしを思う不安は明けても暮れても
 寝ても覚めても娘の心を一時も去ってはくれない


 お義父さん 鎌倉に行こうよ と 誘ったものだった
「なんでそんなとこに行かにゃならん 
 横須賀の軍需工場に動員されてなんぼ淋しかったか  
 そがなところには行かん 我が家が一番だ」
 そうい言って 義父は大好きなお風呂で逝った
「また来ますね」と言って5時間後のことだった


 友子さんはいろんなことを想定して苦しみ哀しんでいる
 それが自分のことと同じに堪える
 お母さんは我が家がいいのだ 独りでも不自由でも
 見知らぬところへなんぞ行きたくはない
 亡くなったご主人と幼かった娘たちの思い出と共に
 不自由をおして我儘と知りつつ気持ちを通したいのだ


「足にしもやけが出来ちゃったの・・・」
 あぁ かゆくなっちゃうね 
 同郷だからこそ解る


 みんなが親の老いなど考えられなかった30代に
 末っ子だった私はその思いの渦中にいた
 子供たちは小さくて 忙しくて 哀しくて
 でもお腹がすいたとしきりに言う
 若さは強い たやすく切り替え炊事をし 泣くのはお風呂かトイレ


 夫は辛かったろうな あのてきぱきした動きがなかった
 片づけは長男の嫁の役目なり
 ひたすら動いた 


 私はどんなふうに老いるのだろう
 娘はいない 息子は養子に行った 遠いところに
 もちろんあてになどしていない
 さて どうするか


 強靭な意志をもって書いておかねばならぬ
 その紙をどこに置いたか忘れちゃならぬ
 なんと難儀なことだろう


 産まれる苦しみは憶えていない
 その逆は未知である 両親の姿から想像するしかない


 熱したフライパンに水滴をたらしたら
 ジュワっと蒸発する
 そんなふうに消え去りたい アーメン


 しばし時を過ごしつつ与えられた運命をいきてゆこう
 父よ母よ どんなふうに考えていたの? 訊きたかったな
 母は私に謝罪して去った 長年かけてそのわけを真から理解した
 人生は苦難に満ちていて
 自然はその心をひと時忘れさせる
 空 空気 飛び交う小鳥 木々 花草


 まだ時間はある したいこともある
 役目もある それは恩寵


 友子さん 小柄で豊かな声のクミコさんというシャンソン歌手に似ている
 それも何かの縁


 今日は雨 晴耕雨読 耕しはしないが読書の一日といたしましょう






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