読書ノートからあれこれ年末
読書ノートがある
この頃は書き抜いたりしないで読み捨てみたいな為し方だ
むろんブログに書くから必要を感じないのだが
数年前のノートをパラパラっとめくってみたら
わたしはまるで、念のために生きてきたみたいなものだ
念ばかり押されて、念ばかり押して。
押されない念があったらお金を工面してでも買いたい。
押されなくてもいい念があったら
世界中さがしまわってでも手に入れたい。
読んだその時の自分の気持ちに添った文章だったのだ
初めて読むような気持ちなのが可笑しい
次郎が言った言葉にどこか似ている
「子供が二人いて 四人家族で車でドライブするなんて夢だよね」
我が家はそうであったのに 彼は叶わぬ夢だと言い切った
耳に悲痛であった そうかな・・・と言葉を濁した
世界中さがしまわってでも手に入れたいの?
そうでもないさ
お祖母ちゃんは言ったよ「子供の数だけ苦労するって」
別に次郎の存在を苦労と感じたことはないけれどね
こんな若者だらけなのかもしれない
昔 一家そろっての写真年賀状を送ってくる人がいた
その人はただ無邪気なだけなのだ それはしかし恐ろしかった
私は心配性で いつそれが途絶えるかとわが身に重ねて不安だった
そうだ!とある時思いついてクリスマスカードにした
すると年賀状に一言二言 返事が書き添えてあり嬉しいのだ
走り書きや 裏表印刷のものは乱暴だと思う
出せば良いというものじゃない
ただ 私はそう考える そういうこと
カーブミラー小春日和を遣わする ゑぽむ
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