故郷を捨てるということ

私の身近に「故郷を捨てた人」が4人いる
むろん東日本大震災の関係者ではなく
ごく普通に生活していながら「捨てる」を実行した人だ


一人目は大学生のときに歳の離れた女性と二人でどこかに行った
住民票の移動もしていないので尋ねあてられなかったという
何十年経と経ち男性の母親が認知症になり
息子の名前を呼ぶのが可哀想だったという
しかし解らなくなっていてそれはそれでよかったのかもしれない


二人目
母の従兄
ふいに居なくなり数十年して白菊会から知らせが入った
日時を指定し仙台空港まで遺骨を引き取るようにとのことだった
見知らぬ身内のためにきちんとお葬式を執り行ったそうである
骨になって故郷の土に心ならずもかえったのだろうか


三人目
地元の大学を卒業し大手の企業に就職、結婚 一児をもうけるも離婚
思春期ごろからしきりに「ここはいやだ」と言っていたと母上の証言
南の県に移住 一人暮らしていたが病死
不思議な縁で長男と知り合っていたらしい
家は私の実家の近所であった お顔は存じ上げないが
私、姉達とも同窓の母上であった
悲しみは到底察し得ないが
私と話したいとのご希望で何度か電話をいただいている
私自身は葉書をさし上げている。


四人目
故郷を遠く離れて就職 結婚するも二度ばかり帰郷したのみ
このたび母上が亡くなられた
電話では毎日通話されていたらしいが認知症になられてからは
それも不可能になった
体調が思わしくないとは連絡があったらしいが行ってみることはなく
このたび葬儀のために帰った
長男であるが全てを弟、妹に相続してもらい一週間でこちらに戻った



話は小説になるが「ビルマの竪琴」の水島上等兵のように
日本に帰国せずミャンマーの地に残った人は
二千人を下らないだろうという


男性ばかりだが これは女性の場合とはおおいに異なる
女性は嫁ぐことにより生まれ故郷や兄弟姉妹たちと遠くなる
そして心も やがて希薄になっていく
淋しい気持ちになっても子育てや家事がある
やがては夫の父母の世話をすることとなり
いささかもどかしい気持ちを抱きながらも奔走せざるを得ない
したがって「故郷を捨てる」ということにはあたらないが
そのようなことになってしまう


しかし生まれ故郷は心に身に沁みてあり
あたかもかの地にいるような幻想を抱くことができる
美しい思い出だけの世界に遊ぶことができるのだ




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